2011年3月14日から2011年3月10日までの日記を表示中
2011年 3月14日 (月)
■今日も何もしていない
朝になって,「計画停電なので今日は休業」という連絡が来ました.はー,今日はお休みですか.そんなわけで,部屋の片付けを少し進めたりしてました.あんまりはかどりませんでしたが・・・.
結局うちの地区では停電はありませんでしたが,まあ今日は電車止まったりした関係で特別だったんだろうな,と.今後もまた停電の機会は何度もあるでしょうし,昨日の準備は無駄にはならないでしょう.仕事でシステムを管理されている方は大変でしょうけど,僕のは所詮はほとんど趣味のものですので,落ちて当たり前,落ちなかったらラッキーくらいな感じで覚悟しておきますw
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2011年 3月13日 (日)
■何もしていない
何か今日は全然何もできませんでした.地震発生から帰宅までの流れをまとめたり,棚の地震対策 (中身が飛び出さないように紐張ったり,倒れにくいように隣の棚と連結したりしただけですが) をしたり,停電に備えて色々仕込んだりして一日が終了.
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2011年 3月12日 (土)
■蔵王〜山形駅
結局眠りにつけたのは余震が落ち着いて明るくなった6時頃.そして次に気がついたのは8時半.・・・朝ご飯7時って言ってた気がするんですけど,大寝坊じゃん (;´Д`).一応ダメ元で行ってみたらまだ残っていて,一番最後ながら,どうにか食べることができました.危ない危ない・・・.というか朝も電気がない中,ここまでの準備,本当にお疲れ様です.相変わらず不安で胸がいっぱいでしたが,この次にいつしっかり食べられるかもわかったものではないので,おかわりしておきましたw
荷造りをして,10時頃チェックアウト.チェックアウト時に,ロビーに置いてあった新聞の写真を見て衝撃を受けました.何これ・・・.そして宿の人に交通状況を質問.ああ,電車は全然動いていなくて,信号もまだ消えたままなんですか・・・(;´Д`).はぁ,今日は帰れないかなこりゃ・・・.
いやしかし今日は天気がいいですね.悲しいくらい,絶好のスキー日和です・・・.
コースは圧雪されていましたが,もちろんリフトもロープウェイもまったく動いていません.
リフト券の返却・払い戻しに行った先の事務所では,自家発電してました.
そして来た道を戻って蔵王温泉のバス停に到着.もっと大勢の人でごった返しているかと思ったんですが,意外と空いていました.公衆電話にちょっとした列ができているくらい.
しばらくして山形駅行きのバスが到着.これに乗れば取り敢えず街に出ることができます.運転手さん曰く,山形市内には,電気が来ている所があるとか何とか.おお,これは期待が持てますね・・・.
聞いていた通り,ちょっと下りたあたりでも,信号は消えたままでした.この辺はまだまだ停電しているんですね・・・.
このサンクスは真っ暗です.開いていないっぽい?
スーパーやドラッグストアには,大勢の人が訪れていました.いずれも電気が来ていないためか,店内は真っ暗でした.
このあたりはまだ信号も消えたままだったんですが,そこからちょっと進んだあたりで機能している信号が出現!この辺は電気が来ているようです.
と思いきや,稼働状況は信号機によってまちまちらしく,その後駅に近づく間,動いている信号もあれば,止まっている信号もありといった状況でした.駅周辺でも,電気が来ているのはごく一部に限られているんですかね・・・.
というわけで,発車してから40分ほどで山形駅に到着しました.さて,これからどうしよう・・・.
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■山形駅周辺
山形駅に至る途中,一瞬携帯の電波が入ったらしく,メールがセンターにあるという通知が.ただし,取りに行ってもメール本体の取得に失敗します・・・.うう,なんだこの状態.というか他の操作の邪魔になるので,出ないようにできないんですかね,この役に立たない表示・・・.
駅ビルにはばっちり電気が届いているのかと思いきや,そういうわけでもなさそうです.
とにかく情報収集しないと始まりません.唯一外部と通じる連絡手段であるLahan氏の携帯電話の充電を行うべく,まずはドコモショップに向かいました.途中,駅の階段の下に穴場的公衆電話があり (空いていてほとんど待たずに電話できた),ここで実家に連絡をつけることに成功.ようやく親兄弟の状況を確認できました.皆無事だったようです.自分の最初に送ったメールも届いていたようで,まずは一安心.
ドコモショップの中はこんな状態.ここには電気が来ていたようで,充電サービスを行っていましたが,ご覧の通り充電特設会場状態.近隣は相変わらず停電しているためか,大勢のドコモユーザーが充電に訪れており,充電器やタップなどが足りなくて1人15分程度の充電時間に制限されていました.
Lahan氏の充電完了を待って山形駅構内へ移動.はー,全線運休ですか・・・.
駅構内自体には電気は来ているようで,照明は普通についていました.エスカレーターは動いていませんでしたが.
ただ,駅ビルの商業施設は完全閉鎖.15日まで休業だそうです.待合室だけ開いていて,トイレの利用は可能でした.
終日運転見合わせ.
バスも東京や大阪への直通便は今日はないようです.直接東京に戻ることは不可能そうですね.路線バスは生きているので,最悪の場合,hyousuke氏の実家 (市外ながらも,ここから路線バスで行けるらしい) に転がり込むというルートは確保できそうです.ただ,一応連絡はついているものの,hyousuke氏の実家も電気が復旧していないとのこと.そんな中転がり込むのは非常にご迷惑なので極力避けたい感じ.
ホワイトボードには細かい情報が.高速バスは,ここよりバス案内所の方が詳しいみたいですね.そして右上には,さらっと恐ろしい話が.「上越・長野新幹線も運休いたします。」だと・・・.新潟経由で帰るのも絶望的なのか?駅の人に聞いてみると,詳しい情報はわからないけど現在のところは動いていない的な話.昨日の地震,そんなに被害がでかかったのか・・・?
さてどうしたものかと周囲を見渡すと,案内所的なところで携帯の充電をしている方がちらほら.どうもコンセントを開放してくれているようで,充電器さえあれば充電させてもらえるとか何とか.これは出番だろう.というわけで旅には必ず持参している電源タップを投入して一気に充電可能台数を5倍に.元々使っていた方の他,数名の方が同時に充電できるようになりました.持っててよかった電源タップ.
案内所の中には,京都から友人のところに遊びに来たら帰れなくなった学生の方や,仕事でこちらに来ていたら帰れなくなった方などがいらっしゃいました.昨夜は駅の方も真っ暗だったようで,駅構内や,開放された近隣のホテルで一夜を過ごされたそうです (ホテルでは,エレベーターも動かなかったので,歩いて十何階だかまで上がったとか・・・).
自分の携帯も充電できる状態となったので,ここでようやくワンセグを使ってニュースを見ることができるようになりました.・・・不明者の人数や津波の情報を見てクラクラ・・・.こんな状況だったんですね・・・.
この間,Lahan氏がネット経由で色々と脱出のための情報を収集.上越・長野の方は新幹線が動き始めている? ふーむ・・・.hyousuke氏の実家方面へ向かう路線バスの発車時刻が14時18分だったので,ひとまず14時過ぎに電源タップを回収して待合室を撤収.ありがとうございました.そして,皆様無事に帰れますよう・・・.
バス停の方に行ったところ,何か仙台からやってきたと思しきバスが停まっていました.仙台との間は動いているんですね・・・.あれ,でも案内所にあるバスの運行状況を確認してみると,仙台行きは「見合わせ」とありますね・・・.そして新潟行きの15時の臨時便なんてのも・・・(もちろん満席のようですが). hyousuke氏の実家へ行くバスは,この後の時間でも結構本数があるようなので,ここはもう少し様子を見ることになりました.
Lahan氏がひとまずの食料を調達しに行っている間,バスの案内所の中で待っていたところ,宮城交通の運転手と思しき方がやってきて,職員の方と興味深い話をしていきました.いつ発車するのかまったくわからないけど,バスはまだ往復するようで,山交ビルで人を乗せてから (駅の方を経由して?) 出ていくとか何とか. その後,職員の方は,仙台に行きたいというお客さんに山交ビルへの行き方を説明していました.新潟線の方ははっきりしませんが,正確な情報はここにも全然入って来ていないようです.もしかしたら,新潟線の方も突発的な増発があったりするのかも・・・.ひとまず目指すは山交ビルですね.というわけで駅を離れ,山交ビルへ向かいます.
街の様子は,一見普通そうですが,ほとんどのお店が閉まっています.
コンビニも閉まってました.食料品以外も在庫ないんですかね.雑貨がなくて困っている人とかいたりしないのかな.
そして着きました,山交バス案内センター.ビルの中は電気が来ていないようで薄暗く,なぜかシャッターも中途半端に下がったまま.まあでも外よりは全然暖かいです.座る場所が少なくて,お年寄りは大変そうでしたが.
こっちにも情報は出てましたが,駅前の方より情報少ないですね・・・(しかも古い).
Lahan氏が職員の人に新潟行きのバスの状況を聞いていましたが,15時発の新潟行きの臨時便は満席.16時の定期便もあるらしいんですが,予約があるらしく,キャンセル待ちとかもないとか何とか・・・.もっとも,ここでも正確な状況は入って来ていないってことだったので (電気が来てないのでオンラインの予約システムが機能していないらしい),先のことは「ない」ではなく「わからない」と解釈するのがよさそうですが・・・.とりあえずギリギリまで粘ってみます.
外に出てみると,15時発の新潟行きのバスが到着しました.やはり満席のようです.
仙台行きのバスは割と頻繁に到着していました.乗車率は高くなさそうでしたが・・・.
新潟便を見送った後,しばらくして何やら案内所の職員に動きが発生.何だろうと気にしていると,突然,整理券の配付的なものが始まりました.新潟便のキャンセル待ちの整理券の追加分の配付?慌てて貰いに行ってゲットしました (そんなに人もいなかったので,大勢の人が殺到するって感じではありませんでしたが).・・・3人で22番から24番かぁ.バスの乗車人数とか考えると,割と絶望的な番号なんじゃ・・・.
待つことしばし.慌しく外から職員の方が紙を持って駆け込んできました.バスの座席表が到着したようです.予約がある人の受け付けが始まり,続いて整理券番号の若い方の人から呼び出しが始まりました.あー,24番はどうなのかなぁ・・・と思っていたら突然課長さんが「24番の整理券をお持ちの方ー」 あ,はい,僕ですけど? 「24番までは確実に乗れます!」 ・・・うおおおおおぉぉぉ!!!なんだってー!!!
そしてしばらくしてついに番号の呼び出しが・・・.やった!新潟行きの乗車券ゲットです!
外に出て待つことしばし・・・.新潟交通のバスが来ました!
なんて神々しい.これに乗れば新潟に出られます.たとえ今日の内に新潟から先に進めなくても,ここにいるよりは状況は良いはず・・・.
乗れました.この後,さらにかなりのキャンセルがあったようで,キャンセル待ちの整理券がなかった方も乗れたっぽいです.よかったよかった.
そして16時過ぎにバスが発車.相変わらず,信号機の半分くらいは消えたままでした.
さらば山形市.ありがとう山交ビル.短い間ですが,お世話になりました.
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■山形〜新潟
市の中心から離れたあたりも,まだまだ停電したままのようです.こちらのセブンイレブンの時計は地震発生直後の時刻を指したままでした.
この高層マンション(?)も,エレベーターとか止まっちゃってるんですかね・・・.
南陽のあたりで,ついに携帯のデータ通信が復活.この辺は,建物にも電気が通っているようです.丁度復旧したタイミングだったのでしょうか.メールが10通近くも届いていていました.メールやTwitterから,関東も色々大変だったということを徐々に把握.電車が停まって徒歩で帰宅した人が大勢いたとかの話を見て衝撃を受けました.
バスは山間部へ・・・.
横根スキー場の道の駅でトイレ休憩.ここを越えれば新潟県みたいです.
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■新潟〜自宅
新潟に入ったあたりで丁度日没に.あたりはすっかり暗くなりました.・・・おや,あの遠くに見える光る壁のようなものはなんだろう・・・.定期的に点滅していて,遠くにずっと見えています (写真だと全然わかりませんが,左の方の赤いのの奥).
近くまできて,ようやく煙っぽいものが出ている煙突が4本ほど並んだものだということがわかりました.うーん,火力発電所ですかね・・・.大きいんだなぁ.電気関係の人は今大変なんだろうなぁ・・・.
そして,そこからさらに走ること30分.ついに来ました新潟駅!新潟は,さすがに山形とは違って,普通にものが売っていて,駅前も賑わっていました.これなら新幹線が動いていなくても何とかなりそうです.
新幹線動いてるぅ! 取り敢えず指定券が売っていたので確保.
って,あれ,何か大幅に遅れているんでしょうか・・・? 改札の人に聞いたところ,何らかの理由で最終便が運休になり,それに合わせて1本ずつ後ろにずらしているとか何とか・・・.まじですか・・・.まあこの際,帰れれば何でもいいです・・・.
結局,みどりの窓口で聞いてもよくわからないままだったので,買ってしまったMaxとき350の指定席は諦め,停車中のMaxとき348に乗車することに.そう決めたのが結構発車ギリギリのタイミングで,猛ダッシュすることになりましたが,どうにか間に合い乗車成功・・・.車内は大混雑かとおもったらガラガラ.自由席車両でも余裕で席の確保ができました.
途中,何度か地震があったようですが,新幹線は速度を落としつつも停止することなく走り続け,23時半頃に東京に到着しました.3時間以上かかりましたが,とにかく帰り着いてよかった・・・.
この後は,東海道線で川崎に.
そしてそのまま南武線に乗り継ぐことができ,無事帰宅することができました.・・・や,やったぞ! 帰ってきた! そして疲れた・・・.ご心配おかけした皆様,すいませんでした.
さて,心配された自室の状況ですが・・・
鋳薔薇のフィギュア2個とHHKが落下していたくらいで,基板やゲームソフトは全然落ちていませんでした.HHKも,床に直接落下せず,セーターの上に落ちていたのでダメージゼロ.いやー,よかった・・・(写真は,床に基板が散らばっているかのように見えますが,元々床に置いていたカゴに基板を入れておいたところにフィギュアが上から落ちてきただけの状況)
Lahan氏とhyousuke氏も無事帰り着いたみたいです.というわけで,スキーは数時間しか滑れず,温泉にも全く入れず,丸1日かけて帰宅するということになった蔵王温泉へのハードなスキー旅行は,どうにか無事終了となりました.いやー,被害は小さかったとはいえ,非常に貴重な経験となりました.とりあえず,電気の有り難味を痛感しました.節電,大事ですね・・・.それから,自分は元の生活に戻れたので,今度は本格的に被災した方を何らかの形で応援する番ですね・・・.
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2011年 3月11日 (金)
■スキー
始発の車内で落ち合うことになったので,4時前に起床して出発準備,無事5時前の電車に乗ることができました.途中で今回一緒に行く (というかスキー旅行を企画した) hyousuke氏とLahan氏とも無事合流し,東京駅に出て,そのまま新幹線で山形へ.蔵王は最も好きなスキー場の1つなので,近づくに連れテンションが上がります.
9時過ぎに山形駅に到着し,朝ご飯を食べたりしつつバスを待った上で蔵王温泉へ移動.ホテルで支度をしていざゲレンデへ.入れたと思っていたタイツがカバンに入っていなかったり,リフト券が大きすぎて数年前に買った蔵王のリフト券ホルダーに全然入らなかったりと,軽く凹むことがありましたがw,ガラガラのゲレンデを見てそんなことも吹っ飛びました.多少天気が悪い感じですが,これは相当楽しめそうです.
・・・とか思ってたんですが,日頃の運動不足+天候の悪化により,さっそく息が上がり気味に (;´Д`).お腹も空いたので,黒姫の下のレストハウスで遅めの昼食.ご飯の後,ちょっと寝たら元気になりましたw
外に出てみると,さっきよりも天気が悪くなったような感じです.うーん,まあでも,空いてるうちにひとまず山頂を見に行こう.というわけで,横倉 (壁じゃないよ) を軽く滑ってから蔵王ロープウェイ山麓線に乗車.
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■地震
説明するまでもないですが,この直後に東北地方太平洋沖地震が発生しました.タイミング的に,蔵王ロープウェイの山麓線が終点に着いて,ドアが開く直前くらい.もう間もなく終点ですというところで,ロープウェイに乗っていた多くの方の携帯電話が一斉に「ギュイギュイ」鳴り始めました.その後,ロープウェイがガタガタと激しく振動.乗務員の方がやたらと落ち着いていたので,当初停止時の振動なのかと思ったのですが,どうも様子がおかしい感じ.ロープウェイから出てもガタガタいっています.こりゃマジででかい地震なのか!?
ロープウェイの終点は,斜面の結構きついところに建っています (こちらに終着点の写真があります).危険を感じ,揺れる中,階段を上がって待合室に入ると,一層激しい揺れが・・・.どれくらい揺れたのかわかりませんが,終着点や待合室ごと崩れ落ちるんじゃないかと本気で心配になるくらい怖かったです.
揺れが収まった時点で,ガラスが割れたりといった被害はありませんでしたが,待合室に入った時点ではついていたテレビがいつの間にか消えていました.停電です.待合室の中にある事務室にはスタッフが何人か滞在していましたが,停電ということ以外,ほとんど情報が伝わって来ず,「余震が続いているのでゲレンデに出るのは危険ですのでこちらで待っていてください」を繰り返すばかり.そうこうしているうちにどんどん体が冷えてきて危ない感じに.必死に動いて体を温めて過ごしていました.ていうか何で石油ストーブとかないのここ・・・
写真は地震発生から1時間くらい後の待合室の様子です.揺れが収まった直後はauの携帯電話からでもネットが使えていたんですが,メールとTwitterで無事を一方的に連絡して,自宅の無事を確認したところで通じなくなりました.ドコモ (SBMも?) はその後も使えていたみたいで,Twitter経由でぽつぽつと何が起きたのかという情報も入ってきてはいたのですが,ものすごくヤバいということがわかったあたりで鯨が出てつながりにくくなったようで,その後はバッテリー温存のためにあまり見る人もいなくなったようでした.
写真を見るとわかりますが,ロープウェイは復路も乗れるので,スキーやスノーボードを持たずに,単純に観光目的で乗車されていた方も大勢いました.このような方は,当然軽装なだけでなく,滑って降りることもできないので,ロープウェイが復旧しない限り,スノーモービルなどの救助に頼らないと下山できません.待合室の中も相当寒いので,せめてこういった方だけでも待合室からさらに壁で区切られた事務室の中で待たせてあげれば良かったのになぁと思ったりも.一般人を入れられない理由とかあったんでしょうかね・・・.
16時頃になって,何人かが自力で下山を開始しました.日没が近づきつつあり,また天候も良くなかったため,遅くなると下山のリスクがさらに高まるという判断です.自分たちもその考えに同調し,残った方の無事を祈りつつLahan氏,hyousuke氏とともに待合室を出ました.・・・うおお,すぐ横にでかいレストハウスがあるじゃねーか! 時々出入りしていたパトロールがこっちに誘導して上げれば,みんな寒い思いしなくて済んだんじゃ・・・
なんて今更言っても始まらないので,板をかついで少し歩いて,百万人ゲレンデの方へ移動.ここから横倉の方へ回ってロープウェイ乗り場まで戻る作戦です.この時点で,ロープウェイに乗ったときよりさらに天候が悪化しており,視界はものすごく悪く,ちょっとでも気を抜くとすぐにはぐれたりコースから外れてしまいそうな状況.地震の次はこれですか・・・(;´Д`)
一瞬危ないシーンもありましたが,どうにか他2人とはぐれることもなく,無事横倉へ回ることに成功.このあたりで視界が多少はマシになり,周囲の状況が把握できるようになりました.リフトは一切動いておらず,ゲレンデにもほとんど人がいません (自分たちと同じように,上に取り残されて,自力で下山しようとしている人たちがぱらぱらいる程度).静寂につつまれたゲレンデを滑り降り,無事横倉の下へ到着しました.
ゲレンデの下の建物の時計は地震の直後くらいの時間で止まっていました.
ゲレンデにはほとんど人がいません.リフトも全く動いていません.
当然ながら,リフトの上に取り残されて,避難器具で下ろされたという方もいたようです.恐ろしい・・・.というか,ロープウェイに乗る前に,せっかくだからもう1本横倉を滑ろうということでリフトを2本くらい上がっていたんですよね.これがなかったら,山頂線の方の途中で地震に遭遇していたか,山頂で足止めを喰らっていたことでしょう・・・.
さて,宿は温泉街の真ん中の方です.どうやって宿に戻りましょう・・・.ここから宿まで移動する手段がないか,たまたまその場にいたパトロールの方に聞いてみたところ,何とゲレンデ間を回っているパトロールの車両を手配してくれて,他のグループの方と一緒に宿の方まで送り届けて下さりました.結構距離があったので非常に助かりました.ありがとうございました.
宿も当然のように完全停電.薄暗い中,ロビーには大勢の人が集まっていて,時折起こる余震に怯えながら,不安そうにしていました.チェックインして部屋まで案内してもらいましたが,当然途中の廊下の窓のないゾーンは真っ暗,お風呂は入れず,暖房の効かない廊下はひんやりしています.
もちろん,客室の中も窓から差し込む陽の光が頼り.非常に薄暗く,トイレの中なんかは真っ暗です.携帯電話やデジカメの液晶のバックライトで照らさないと用を足すことすらままなりません (水はタンクの貯水があったようで,トイレや洗面所は利用可能だった).また,暖房も効いておらず,さらに地震のせいで動いたのか,窓が最初から開いており,非常に寒い状態.ポットには,停電するまで保温状態となっていたと思しきぬるいお湯が残っていましたが,茶びつが机から落下したのか,中の急須が砕け散っていました.何から何まで辛いですね・・・.
部屋では,体も冷えていて,他にやること (というかできること) もなかったため,さっさとウェアを脱いで,厚着をして,かけ布団を被って余震に怯えながら過ごしていました.一応,メールで無事を知らせようかと思ったんですが,携帯の方はアンテナが3本立っていながらもメールは送り出せない状態.地震直後に送ったメールが届いていることを願うばかりです・・・.宿の人が布団を敷きに来てくれた後も,夕飯の準備ができるまでは同じように布団を被ってひたすら耐えてました.
そして夕飯.照明がつかないため,各テーブルの灯りはろうそくと調理用の固形燃料.こんな状況で,よくこれだけのものを用意できたなというメニューでしたが,十分に火が通ったかどうかを確認するのも大変で,残念ながら楽しむ余裕はなく,また,不安で胸がいっぱいで,いつものスキー旅行のように2膳3膳とおかわりすることもできませんでした.
当然ながらご飯を食べている間も余震は続いています.食堂の方が作りがしっかりしていたためか,客室よりも揺れ方が大人しく,客室ほどの怖さはありませんでしたが (客室の方はちょっと揺れただけでもギィギィギシギシガタガタと激しい音がして非常に怖い),やっぱりゆらゆらしているのは気持ち悪いですね・・・.
食事の途中,隣のテーブルの方から,断片的に各地の被災状況が聞こえてきました.仙台空港が津波で泥だらけになって飛行機飛べない状態とか,まじですか・・・(;´Д`).ものすごい不安になったので,バッテリーが切れる寸前のLahan氏の携帯で自分の家族にメールを送って貰い,その後は歯を磨いて21時前にさっさと就寝.が,頻繁に来る余震や一体いつ自宅に帰り着けるのかという不安,他の人のいびきなどにより,明るくなるまでほとんど眠れませんでした (まあ僕も歯ぎしりが酷くて他に迷惑をかけたみたいですけど・・・w).あー,ほんと色々心配だなぁ・・・.
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2011年 3月10日 (木)
■スキー行く前の日
明日は蔵王にスキーに行くので,帰ってさっさとご飯食べてお風呂入って就寝・・・したかったんですが,集合場所とか時間とかがイマイチはっりせず,だいぶ遅くなってしまいました.寝坊は許されませんね・・・.
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2011年3月14日から2011年3月10日までの日記を表示中
夢にも思わなかったでしょう。
旅行はまた、状況が落ち着いてからでも
とにかく、無事帰宅されたようで何よりです。
とにかく一刻も早く無事を伝えたい&家族や家の無事を確認したい
という思いでいっぱいで,「もうスキーとかどうでもいいから><」
状態でした.山形駅の公衆電話から連絡がついた際は
本当に安心しましたね.
そちらの状況も何も知らず、家に泊めさせてくれとか言って申し訳ない。
あのメールを受け取ったときは首都圏もそんな事態なのか!と,
ものすごくビックリしました.
無事帰れたようでなによりです.
空路とかも大変みたいですね・・・.
というかyotchixさんの方は今でもまだインフラ完全ではないんですよね?
僕なんかよりもずっと大変かと・・・.少しでも早くいつもの生活に
戻れることを願っております.